小野口の伝承(8)

カテゴリー │遠州山辺の道の歴史

休兵坂

平口と新原との境、三方原台地に登ってゆく坂を、休兵坂と呼んでいる。

小野口の伝承(8)

ここは、言い伝えによると、三方原合戦のとき、武田軍が台地に登る前に、兵を休ませた場所という。
台地に登った場所としては、東区有玉西町欠下の大菩薩の坂が有名ですが、輜重などの別部隊が登った可能性は否定できません。新原に、米洗いという小字がありますが、この名前も、三方原合戦に関係しているという説もあります。

新原の地名は、武田の武将・新原弥左衛門が住み着いたことから着いたとそうです。住んでいる地名が、苗字になることは多いのですが、苗字が地名になるのは少ないと思います。そうではなくて、新原は、武田信玄の信玄の当て字だ、という意見も無い訳ではありません。
又、内野の横田家の先祖も、武田軍の武将が、傷を負って、内野に住み着いたといわれています。(山内)



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この記事へのコメント
こんにちは。

休兵坂、たまに通るのですが、このような由縁があったのですね。
こういった歴史、情報は地元に住んでいても
なかなか耳にする機会がないもので、
情報発信がとてもありがたいです。
Posted by ヤハタヤハタ at 2014年04月25日 08:24
ヤハタさん、こんにちは。

なんでもないような所にも、歴史の痕跡って残っているもんですね。
これからも情報発信していきますのでよろしくお願いします。
当会の開催するイベントにもぜひお越しください。
Posted by 遠州山辺の道の会遠州山辺の道の会 at 2014年04月26日 06:56
新原の瑞応寺住職さんが詳しく知っているそうです。そこには弥左衛門の墓が有ります。H28.11.12.中日新聞夕刊に記事が載りました。
Posted by 村八部 at 2017年01月01日 13:20
去年夏ごろ、瑞応寺住職さんにその頃の事を教えていただきました。
訳あって徳川家に忠誠を誓った文書の今の所在や弥左衛門さん家来の方々のお話もたくさん聞かせていただきました。
Posted by てるぴー at 2017年01月09日 01:24
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