高根山

カテゴリー │遠州山辺の道の歴史



宮口地区から赤佐地区へ歩を進めて、
一番先に目につく山が高根山です。
海抜135,4㍍で非常に形がよく、本当に器量よしで、昔から美しいと言われる奈良三山も高根山には遠く及びません注目

その昔、都より東国へ向かう街道が、都田から宮口を経て、高根山の山麓を通り、於呂神社辺りで天竜川を渡ったのではないかとも言われています。今の山辺の道もおおよそ これをたどっています。

山頂には、六世紀頃の古墳が数多く点在しています。此の為 地元の人達は先祖の眠る、お山として敬い、大切に守ってきました。

昭和の大戦末期にこの山頂に機銃が据えられ、敵機が来襲のたびに応戦しましたが、B29には、とてもとても弾丸が届きませんでした。
今でも山頂へ連なる塹壕や、山頂には敵の上陸に備えての陣地構築の跡もあり、山頂では新旧の遺跡が同時に見られます。

中腹には一千年以上も昔から高根神社が祀られていますが、高根神社については、また改めて紹介したいと思います。

高根山も以前は松山で、地元の人達にとっては、柴を刈っては飯を炊き、山草を刈って田を肥し、秋には松茸で喜びをあたえてくれました。今では松は年々枯れて、代わりに照葉樹が多くなってきております。時代の移り変わりは人の世だけではなく、高根山にも大きく影響しているようです。ニコニコ♪黒



 

浜北西高校 歴史講話会

カテゴリー │ダイアリー

去る10/22、浜北西高校において歴史講話会が開催されました。



この講話会は、一年生生徒約300名の校外ボランティア活動の事前研修として位置付けられ、遠州山辺の道の会が昨年から地域の歴史を学ぶお手伝いをしています。

今回は、まず山内さんが遠州山辺の道の説明をした後、小野田さんから坂上田村麻呂の伝説について、また山内さんから浜北西高の場所にあった男池についてお話をさせていただきました。

果していつも勉強している歴史の話とはまた違った歴史の面白さを体験してもらえたでしょうか?

この講話会が生徒さん達にとって地域の歴史や活動に興味をもつきっかけとなれば嬉しい限りです。



 

遠州山辺の道ウォーク開催のお知らせ

カテゴリー │イベント情報

遠州山辺の道の会では、恒例となったウォーキングイベントを
11月、12月、1月と3回連続で開催します。
第一弾としてまず内野地区の古墳を巡ります。

遠州山辺の道ウォーク
「1600年の時空を越えて四世紀から現在を歩く」




 日時:11月18日(日)午前9時~午後0時30分
 場所:中日ハウジングセンター(浜北区染地台)集合・解散
 内容:丘陵のすそを通る歴史散策コース「遠州山辺の道」を歩き、
     4世紀後半の古墳と現在の住宅地をめぐる
 定員:30人(応募多数の場合、抽選)
 対象:小学生以上

 参加申込は、はがきまたはファクス、Eメールに
 住所、氏名、年齢、電話番号を書いて、
 浜北区まちづくり推進課まで【11月2日(金)締切】

 浜北区まちづくり推進課: 
 〒434-0038 浜北区貴布祢3000 なゆた浜北3階
 TEL 586-6201 FAX 586-6215
 Eメール hk-shinkonayuta@city.hamamatsu.shizuoka.jp




 

赤佐にまつわるお話。

カテゴリー │遠州山辺の道の歴史


宮口地区からバトンタッチして赤佐地区よりお届けします上昇

現在地図を見ても、「赤佐」の地名はありません,
ただ幼稚園・小学校・JA(農協)・郵便局などに「赤佐」が残されているだけです。
浜北市史を開いて探してみると、約1,300年の昔の藤原京跡から出土した木簡に「荒玉評赤□里」としてあり(□はみなさんの想像に任せます)、更に1,100年前の「和名抄」という本にも「赤狭(安加左)」と記載されています。但し此の頃の「赤狭」は現在の赤佐・中瀬付近を指した大凡の地域と思われます

 それが400余年前頃から「赤虵(蛇)」と書かれたものが散見される様になります。地区内の神社の御札に「赤虵郷」と多く書かれています。「袖ヶ浦赤蛇伝説」の初めでしょうか。口伝えで、尾が付き、鰭が生え、いつの間にか有名人や社寺が加わり、「袖ヶ浦由来記」として現在に伝わってきたと思われます。
その「赤虵郷」も120余年前、新しく「赤佐村」となり、更に50余年前に「浜北町」となって「赤佐村」は無くなり、於呂・根堅・尾野の字名のみが残りました。  
                
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