遠州山辺の道の会の仲間たち

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おはようございます。遠州山辺の道の会広報担当の酒出です。

昨夜 あらたまの湯に遠州山辺の道の会の仲間たちが集結
今年一年の活動を誓いあいました。 

3月のイベント企画は順調に準備が進んでいます。
新しい試みとしてボランティアガイドの活動が始まります。
「こだわり紀行」にコラボします。

ふるさと再発見 根堅遺跡「浜北人」をクローズアップ
「浜北人って何?」・・・そんな皆さんに知ってもらいたい!

今年の遠州山辺の道の会にご期待下さい。

さあ、皆さんも遠州山辺の道を歩いて、
あなたの山の辺の道を探してみましょう。


 

灰釉陶器生産に於ける地方窯の成立と展開

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おはようございます。遠州山辺の道の会広報担当の酒出です。
昨日、地域情報センターにて第3回東海土器研究会シンポジュウム
「灰釉陶器生産に於ける、地方窯の成立と展開」が開催された

浜松市博物館では、昨年「吉名古窯調査研究」の発表から始まり
7月に東海土器研究会を開催 12月からは博物館ものづくり展
「平安時代の陶芸と技」がこの3月まで開催、一昨日のプレイベント
ギャラリートークを経て 昨日のシンポジューム開催となった

勿論、1月11日に実施された「宮口窯ウォーク」も、その一環として
遠州山辺の道の会が協力、共催したものです。

灰釉陶器とは、簡単に云えば それまで縄文土器の様な素焼きから
現在の陶器の様な釉薬を用いた陶器の始まりとなった時期の仕様を
指すものです。 9~10世紀 根堅~宮口、梔池に至る地域に
多くの窯が設けられ、瓦から食器などの焼き物文化が花開きました。
遠州地方一帯の陶器は、浜北で生産供給されていた訳です。

遠州山辺の道の会では、今後も宮口窯(宮口焼)に関する情報を
提供すると共に、皆さんと地域産業の生い立ちの研究に取り組んで
行きたいと考えています。

博物館の展示は3月1日まで開催されています。
4月からは大屋敷窯の発掘調査も始まります。

さあ、貴方も遠州山辺の道を歩いてみませんか?


 

2015.01.11宮口窯ウォーク

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遠州山辺の道の会 広報担当の酒出です。

本日、宮口 庚申寺大祭の会場に 会員を含め132名が集結した。

昭和34年の発掘調査から、実に55年 昨年発表された 宮口の
吉名古窯の調査研究発表に併せ、浜松市博物館では「平安の陶芸と技」
展が開催されている。
そして、本日 現地説明会を兼ねた「宮口窯ウォーク」が開催された。



解説は浜松市博物館の久野学芸員  一月にしては、比較的暖かな
日差しではあったが、冷たい風の吹く中 参加者は熱心に聞き入っていた。

出発/解散地の宮口庚申寺では、初庚申祭が催され 「宮口まちおこしの会」の
メンバーが ウォーク参加者を甘酒接待などで迎えた。

浜松市文化財課では この春から 宮口窯の発掘調査が実施される。
現地説明会は未定ですが、実施の際は、このブログでも発表しますので
お見逃しなく・・・   ご期待下さい。

次回 遠州山辺の道の会の ガイドウォーキングは3月29日「遠州山辺の道に
さくらを訪ねて」です。 多くの皆さんのご参加を お待ちしています。


 

産業遺産「石灰焼成炉跡」に関する考察

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石灰焼成炉跡  浜北区根堅 接待地区個人管理
かつて浜北の産業に石灰産業があった事を知る人は多いと思う
江戸時代から 石灰産業は始まり昭和50年代まで脈々と生産が
続けられた。 現在もさくらの里に、その痕跡が残る。

接待と云う地名も 石灰産業に携わり財を為した芳田家が秋葉街道沿で
茶屋接待をした事に由来する。

昨年 富岡製糸場が世界遺産に登録されたが「産業遺産」分野である

ここで申し上げたいのが、長年浜北の産業の中核を成してきた石灰産業の
産業遺産として石灰焼成炉跡は、公的に保存されるべき遺構ではないかと
考えるものである。 現在は私有地の中であるが、所有者のご好意で
常時見学は可能である。
この春 山辺の道の会では解説看板の設置を計画中です。
地元住民の気運を盛り上げ 公的機関に陳情を求めて行きたいものだ


上記の写真は、昭和40年代の岩水寺石灰工場の遠景です。



 

金銅製透かし彫り金具に関する考察

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金銅製透かし彫り金具 国指定重要文化財
直径33.3cmの円形で、銅地に金メッキが施される。忍冬唐草文が透彫されており、その外周には7個の金銅鈴が配分して付加されている。外縁には3個の足金具がある。この形状から、帽子の鍔の部分と想定されている。

奈良県藤ノ木古墳出土の鞍・沓などと同じく、大陸文化の香るものであり、直接比較できないが、鈴鹿市保子里1号墳出土の細金細工耳飾(東京国立博物館蔵)などもそのような類に相当する

明治中期に涼御所古墳の石室内から刀・勾玉・管玉などとともに出土したものである。

根堅の農林技術研究所 森林・林業研究センター内にある 向野古墳群9号墳が「涼御所古墳」である。(現在は残っていない)
現存する「向野古墳」は6号墳であり、2・3号墳も形状のみ確認できる。
何故 涼御所古墳と名付けられたのかは不明であるが 明治中期に、lこの地域一帯が調査されたと、されている 時代的背景なのか遺物は伊勢市に流出している。

古墳時代に このような製品を手に入れた地域有力者の権力が測り知れる。 
複製品が展示されているが、地元の認識は薄く 地域の誇りとして もっとクローズアップされるべき事柄と思われる。 出来る事であるのならば、出土地に返還して戴き、展示されれば市民の関心も高まるものと思われる。 一緒に発掘された刀剣類や装飾品は展示されていないので、これらだけでも返還されないものかと感ずる。

この内容は 私 酒出の個人的意見であり、山辺の道の会の見解ではありません。 


 

静岡新聞 平成27年1月4日朝刊

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「平安の窯 出土品に脚光」 浜松・浜北区市博物館で公開

50年以上前に浜松市浜北区宮口地区で発掘された平安時代の窯が、あらためて脚光を浴びている。同市博物館(中区、鈴木敏則館長)では出土品が初めてまとめて公開され、市民の関心を集める。鈴木館長は「浜松に、ものづくり文化が平安時代から根付いていたことを広めたい」と話している。
同館の「平安時代の陶芸と技」展(3月1日まで)は、浜北区の吉名古窯からしゅつどした灰釉(かいゆう)陶器を中心に、9~11世紀に生産された皿や碗 約200点を展示している。
当時、東海地方有数の陶器生産地だった宮口地区には50基前後の窯跡があり、最盛期には生産品が遠江一帯に流通していた。
中でも宮口吉名古窯から出土した花や蝶の模様入りの「陰刻花文碗」や「円面硯」は貴族、豪族向けの高級品で「地方の作陶文化が分かる貴重な資料」(同館担当者)という。
吉名古窯は1959年に静岡大などが調査したが、出土品が膨大な点数に上ったことなどから、未整理の状況が続いていた。市が保管を受け継いだ1975年以降も、事情は変わらなかったが「ものづくりの伝統への関心が近年高まり、出土品の再調査と公開を決めた」(鈴木館長)という。
市は昨年3月に出土品に関する報告書をまとめた他、一般向けのガイドブックも製作した。

宮口地区の窯跡を巡るウォーキングイベントを1月11日に企画した浜北区のボランティア団体「遠州山辺の道の会」(猿田会長)は、「区内には古墳や遺跡が数多く残る。市内外の人が浜北の歴史や文化に関心を寄せるきっかけになれば」と期待している。

静岡新聞 1月4日朝刊 19頁


 

陶製五輪塔に関する考察

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陶製五輪塔(とうせい ごりんとう) 国指定重要文化財
高さ:37.5cm  平安時代(久安2年(1146)刻銘)
所在地:愛知県瀬戸市南山口町 所有者:愛知県(愛知県陶磁美術館)

灰褐色陶胎(はいかっしょくとうたい)で、やや砂質の焼締(やきしめ)陶製五輪塔形経容器(きょうようき)です。
石塔の一種である五輪塔の形に作られており、地輪をかたどる台座、水輪をかたどる身、火・風・空輪をかたどる蓋から構成されています。

経塚造成の際の経筒又は経筒外容器として使用されたと考えられます。
本器の内外に多くの銘文が刻まれており、「久安二年(1146)七月廿八日申時造了清原重安造之」「願主沙門良忠持範房」「遠海新所之立焼(静岡県湖西市新所湖西窯)」など、作者・製作年代・製作地が判明する稀有な例であり、また、五輪塔形経容器としても平安時代の貴重な作例です。

遠海=遠江 新所=新所原 と、馴染みのある地名が登場する事から
注目する訳だが、この遺物の発掘場所はと、云えば根堅勝栗山遺跡
そう、森の家のある勝栗山 地元でも、この山に遺跡があった事すら
知らない人が多い 浜北の地から出土した遺物が国宝になっている事など
ほとんどの人が知らないのが実情です。

発掘調査は明治中期に実施された事から、内容も明確になっていない
瀬戸に遺物が流出した状況も明確ではない

篠場瓦窯、大屋敷窯跡、吉名古窯など 浜北北稜には焼き物の文化が
古くから確認されている。 製作場所は湖西市ではあるが
この地に、有力者が暮らしていた痕跡があり、瀬戸に勝るとも劣らない
焼き物文化に注目し、地元で話題を盛り上げ せめてレプリカを作成し
ふるさと浜北の文化として継承して行きたいものだ

これは、私 酒出 個人の意見であり、山辺の道の会の見解ではありません。


 

卑弥呼の鏡に関する考察

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ちょうど一年前「卑弥呼の鏡は魔鏡だった。」と話題になった。
これは、3D彫刻機で「三角縁神獣鏡」を複製したところ、鏡に反射させた光が魔鏡を示した事にあった。

昭和36年 内野の龍泉院=通称「赤門寺」の裏山の古墳から「三角縁神獣鏡」が発掘され「赤門上古墳」が静岡県の遺跡指定と文化財指定となった。

魏志倭人伝に「卑弥呼」と、云う女王が日本に居て 100枚の道鏡を贈ったと書き記されている。 この100枚の鏡と同じ物であり当時の技術から 一つの型から2~3枚が製造されたものとされている

赤門上古墳から発掘された物と同等の品物が 奈良県の黒塚古墳から発掘された33枚の中の24号と同じ「三角縁唐草文帯四神四獣鏡」であった。 この事から赤門上古墳は、この地を治めた有力者の墓と推測される。

東海地方には 愛知県愛西市「奥津社古墳」の3面、犬山市「東之宮古墳」の4面 静岡県では磐田市「新豊院山古墳」の一面が確認される。

ここで考えたいのが 各地の古墳や三角縁神獣鏡が 国指定の遺跡や文化財になっている事に対して 赤門上古墳並びに出土品が県指定止まりであり、古墳も公園管理はされているものの その整備状況や環境が十分であるとは認めがたい点にある。

かつて 浜名高校史学倶楽部がこの古墳の発掘調査にあたった事から、浜名高校の史学部に入部すると、まずは この地を訪ね 先輩達の功績を偲ぶことから始まった・・・(現在では実施されていないらしい・・・)

地元での歴史に関する解説や取り組みがなされて いない事に問題がありそうだ、 この機会に この重要性や貴重性をPRし 多くの市民の皆さんに周知して戴き 機運を盛り上げ 国の重要文化財=国宝に取り上げて貰える活動を考えたいものだ。

尚、この考察は 私 酒出 個人の発言であり 山辺の道の会の見解ではありませんので ご了承下さい。



 

2015田村神社初日の出

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おはようございます。遠州山辺の道の会広報担当の酒出です。

遠州山辺の道 田村神社には 初日の出を拝もうと100名以上の
皆さんが集まりました。

概ね晴れてはいるものの日の出方向には雲が・・・



何と 山際と雲の間から 顔を覗かせました。

残念ながら富士山には雲が掛かり見えませんでした。
初日の出と同時に、チラチラと雪が舞い始めました。

さあ、皆さんも遠州山辺の道を歩いてみませんか?
今年の初ウォークは1/11 宮口庚申寺10:00出発の
スペシャルガイドウォーク「宮口窯ウォーク」です。



 

2015あけましておめでとうございます

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                                  10月25日 中日新聞
あけましておめでとうございます。遠州山辺の道の会 会長の猿田です。
皆様には健やかに新年をお迎えのこととお喜び申し上げます。

昨年は、弊会にとって充実した年となりました。
まず、我々の活動の原点である”遠州山辺の道“の全ルート約15キロを会員が
2日間掛けて走破しました。説明看板や誘導看板の老朽度や距離的間隔など
更に親しみやすい散策路となるよう、再点検を行いました。

浜松市で唯一、浜北区に無かった、いわゆる「観光ボランティアガイド」制度も
立ち上げました。早速、遠鉄バンビツアーからオファーをいただきました。

“奈良山の辺の道”は、古事記にも出てくる古道です。
この道を会員で訪れ、「天理市山の辺の道ボランティアガイドの会」と交流会を
行うとともに、彼らの案内で2日に分けて歩き、看板やガイドの仕方などのノウ
ハウも学びました。

今年は、活動の重要テーマに、「根堅遺跡」の保存を掲げたいと思います。
この地で18000年前の旧石器時代の人骨が発見されました。
浜北人と名づけられ、本州最古の出土人骨です。
一時は話題にも乗りましたが、今はその存在もあまり知られていません。
浜北が、浜松が、全国に誇る文化資源です。
浜北人の年代判定した日本人類学会の先生や地元選出の議員や諸団体のお力を得て、シンポジウムなどこの遺跡を再整備する運動を起こしたいと思います。

もちろん、日常的には、山辺の道に関わる文化、自然などの地域資源の再発見、
保全、有効活用を念頭に置いて、地元の歴史、史跡を勉強したりしてその結果を
発信する活動を継続していきます。

新年最初のガイド付きウオーキングイベントは、宮口初庚申祭(1月11日)に合わせ、最近研究がまとまった地元“宮口窯”をテーマに、浜松市博物館員を特別ガイドに招いて説明いただくウオークを開催します。

また、現在、ブックレット「遠州山辺の道を歩く」やガイドマップ「遠州山辺の道」を再編集中です。今春には、発行の予定です。
それぞれご期待ください。

弊会は、以上のように幅広い活動を行っています。ご興味のある分野で
一緒にやってくださる仲間を募っています。ご連絡をお待ちしています。

最後になりましたが、皆様のご健康、ご多幸をお祈り申し上げます。