卑弥呼の鏡に関する考察

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卑弥呼の鏡に関する考察

ちょうど一年前「卑弥呼の鏡は魔鏡だった。」と話題になった。
これは、3D彫刻機で「三角縁神獣鏡」を複製したところ、鏡に反射させた光が魔鏡を示した事にあった。

昭和36年 内野の龍泉院=通称「赤門寺」の裏山の古墳から「三角縁神獣鏡」が発掘され「赤門上古墳」が静岡県の遺跡指定と文化財指定となった。

魏志倭人伝に「卑弥呼」と、云う女王が日本に居て 100枚の道鏡を贈ったと書き記されている。 この100枚の鏡と同じ物であり当時の技術から 一つの型から2~3枚が製造されたものとされている

赤門上古墳から発掘された物と同等の品物が 奈良県の黒塚古墳から発掘された33枚の中の24号と同じ「三角縁唐草文帯四神四獣鏡」であった。 この事から赤門上古墳は、この地を治めた有力者の墓と推測される。

東海地方には 愛知県愛西市「奥津社古墳」の3面、犬山市「東之宮古墳」の4面 静岡県では磐田市「新豊院山古墳」の一面が確認される。

ここで考えたいのが 各地の古墳や三角縁神獣鏡が 国指定の遺跡や文化財になっている事に対して 赤門上古墳並びに出土品が県指定止まりであり、古墳も公園管理はされているものの その整備状況や環境が十分であるとは認めがたい点にある。

かつて 浜名高校史学倶楽部がこの古墳の発掘調査にあたった事から、浜名高校の史学部に入部すると、まずは この地を訪ね 先輩達の功績を偲ぶことから始まった・・・(現在では実施されていないらしい・・・)

地元での歴史に関する解説や取り組みがなされて いない事に問題がありそうだ、 この機会に この重要性や貴重性をPRし 多くの市民の皆さんに周知して戴き 機運を盛り上げ 国の重要文化財=国宝に取り上げて貰える活動を考えたいものだ。

尚、この考察は 私 酒出 個人の発言であり 山辺の道の会の見解ではありませんので ご了承下さい。


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