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2013年05月01日07:30
向野古墳群は、かつて9基の古墳が確認されたと聞き及びます。
現在は6号墳が現状をとどめています。
南向きの緩やかな斜面に作られた直系18m 高さ3mの円墳で、
巨大な石を使った横穴式石室が南に入口を開いています。
また、この古墳の石室形状は近畿地方の影響を受けています。
下の三和土は後のものです。(本来は石敷き)
古くから石室が開かれていた為、副葬品にどの様なものが
あったかは判りませんが、7世紀後半の古墳時代の終わり頃に
作られたものです。
現存していませんが、9号墳から明治時代の調査で石室内から
刀・勾玉・管玉などとともに出土した。直径33.3cmの円形で、
銅地に金メッキが施される。忍冬唐草文が透彫されており、
その外周には7個の金銅鈴が配分して付加されている。
外縁には3個の足金具がある。この形状から、帽子の鍔の部分
と想定されている。 当資料は近年著名となった奈良県藤ノ木
古墳出土の鞍・沓などと同じく、大陸文化の香るものであり、
このような製品を手に入れた地域有力者の権力が測り知れる。
9号墳は特別に「涼御所古墳」と命名された。
推定跡地に説明看板が取り付けられている。

向野古墳(群) 涼御所古墳≫
カテゴリー │遠州山辺の道の歴史

向野古墳群は、かつて9基の古墳が確認されたと聞き及びます。
現在は6号墳が現状をとどめています。
南向きの緩やかな斜面に作られた直系18m 高さ3mの円墳で、
巨大な石を使った横穴式石室が南に入口を開いています。
また、この古墳の石室形状は近畿地方の影響を受けています。
下の三和土は後のものです。(本来は石敷き)

古くから石室が開かれていた為、副葬品にどの様なものが
あったかは判りませんが、7世紀後半の古墳時代の終わり頃に
作られたものです。
現存していませんが、9号墳から明治時代の調査で石室内から
刀・勾玉・管玉などとともに出土した。直径33.3cmの円形で、
銅地に金メッキが施される。忍冬唐草文が透彫されており、
その外周には7個の金銅鈴が配分して付加されている。
外縁には3個の足金具がある。この形状から、帽子の鍔の部分
と想定されている。 当資料は近年著名となった奈良県藤ノ木
古墳出土の鞍・沓などと同じく、大陸文化の香るものであり、
このような製品を手に入れた地域有力者の権力が測り知れる。

9号墳は特別に「涼御所古墳」と命名された。
推定跡地に説明看板が取り付けられている。
