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2012年08月03日19:00
【宮口の歴史】宮口と軽便鉄道≫
カテゴリー │遠州山辺の道の歴史
宮口で鉄道といえば、前回触れた天竜浜名湖鉄道ですが、過去には別の鉄道が走っていたことがあります。
大正13年7月1日に西遠軌道㈱により、貴布祢~宮口間の4.2kmで軽便鉄道の営業が開始されました。当時は宮口、段の下、上新原、中新原、下新原、小林、西山、貴布祢の8駅がありました。
しかし、営業区間が短いために利用者が伸びなやんで赤字が続き、定員30名のガソリンカーを導入するなど経費削減を図りましたが、昭和12年10月についに営業を廃止することになりました。
現在では、宮口駅があったという場所には「軽便鉄道宮口駅跡」という杭が打たれているだけであり、その他の駅舎や線路等の跡もありません。その昔、鉄道が走っていたという面影はありませんが、線路が敷設されていたところの道路を「軽便道(けいべんみち)」と今でも呼んでいます。
大正13年7月1日に西遠軌道㈱により、貴布祢~宮口間の4.2kmで軽便鉄道の営業が開始されました。当時は宮口、段の下、上新原、中新原、下新原、小林、西山、貴布祢の8駅がありました。
しかし、営業区間が短いために利用者が伸びなやんで赤字が続き、定員30名のガソリンカーを導入するなど経費削減を図りましたが、昭和12年10月についに営業を廃止することになりました。
現在では、宮口駅があったという場所には「軽便鉄道宮口駅跡」という杭が打たれているだけであり、その他の駅舎や線路等の跡もありません。その昔、鉄道が走っていたという面影はありませんが、線路が敷設されていたところの道路を「軽便道(けいべんみち)」と今でも呼んでいます。