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【宮口の歴史】宮口と庚申信仰

カテゴリー │遠州山辺の道の歴史

前回の庚申寺の紹介文の中で「庚申信仰」という言葉がでてきましたが、今回はこの庚申信仰についての記事になります。

庚申信仰についてはいろいろと解説があるのですが、ここでは庚申寺のホームページに掲載されている解説を引用させてもらいます。(青字部分)

庚申の信仰とは、もともと中国の道教からできた思想です。
60日ごとにめぐってくる庚申(かのえさる)の日には、人間の頭とお腹、足先にいる三尸(さんし)の虫が口から抜け出して、帝釈天(たいしゃくてん)にその人の60日間の罪科を告げてしまいます。帝釈天は人間の寿命を決める力がありますから、その人の命が縮められてしまうことになります。そこで、庚申の日の夜は眠らずに身を慎んでいなければならないことになります。つまり、延命長寿の思想といえるのです。


以上のようないわれがあるのですが、一人で眠らずに夜を過ごすことが難しいので、会場を決めて集団で過ごすようになりました。
近世入ると、近隣の人たちが集まって、眠らないように夜通し飲み食いをするという風習が広がりました。この集まりを「庚申講」といいます。

このような庚申信仰の中心地が庚申寺です。その門前町として栄えた宮口では、昔から庚申講が各地区で開催されており、それは現在においても受け継がれています。
さすがに夜通し飲み食いをするということはなくなりつつあるようですが、庚申の日に近隣住民が集まって青面金剛にお祈りをするということは行われています。



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