内野・平口の歴史考察(34:最終回)

カテゴリー │遠州山辺の道の歴史

総合福祉施設きじの里

平成二十三年四月、総合福祉施設きじの里が、開園しました。

内野・平口の歴史考察(34:最終回)

この場所には、浜名ニュータウンが開発される前には、山の法面をネットで覆い、きじを放し飼いする養雉場がありました。ニュータウンの開発により廃止され、運動場になりました。野球のネットの張られたグランドは、少年野球チーム「太陽」のホームグランドであり、一隅は、お年寄りのゲートボール場ともなり、又年に一度の、内野台自治会の町民運動会も開かれて、多くの人たちに愛されておりました。

その後、新都市開発公団が、きらりタウンを開発する事になり、取り壊されました。始めこの場所は、高層集合住宅用地でしたが、経済状況の変化から、住宅用地から工業用地に変えられようとしました。内野台住民の反対に会い、二転三転の末、きじの里建設に落ち着きました。一室を借りて、住民の老人ふれあい教室なども開かれるようで、有難い事です。(山内)


「内野・平口の歴史考察」シリーズは今回をもって終了します。
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