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2012年02月04日18:30
内野・平口の歴史考察(19)≫
カテゴリー │遠州山辺の道の歴史
芭蕉の句碑
不動寺の石段を登ってゆくと、幾つかの句碑がたっていて、その中に松尾芭蕉の句碑がある。

「ほろほろと やまぶきちるや 滝の音」直ぐ下に男滝・女瀧があって、山寺の静けさ。いかにも此処に相応しいと思いがちだが、実際は奈良県吉野町の音羽の瀧を読んだもので、「笈の小文」に収載されているものを、芭蕉の150年忌に、この地の句会「雪の県連」が、建立したものです。
芭蕉は、伊賀上野の生まれで、江戸に庵を設けたのだから、東海道を旅したと思われるのに、遠江では一句も詠んでいない。浜名湖も、天竜川も、遠州灘も、銀嶺の赤石の山並みも、気に召さなかったらしい。当時のこの地方の句風が、古い壇林派のままで、蕉風を慕う後援者が居なかったためと思われるが、残念なことではある。(山内)
不動寺の石段を登ってゆくと、幾つかの句碑がたっていて、その中に松尾芭蕉の句碑がある。
「ほろほろと やまぶきちるや 滝の音」直ぐ下に男滝・女瀧があって、山寺の静けさ。いかにも此処に相応しいと思いがちだが、実際は奈良県吉野町の音羽の瀧を読んだもので、「笈の小文」に収載されているものを、芭蕉の150年忌に、この地の句会「雪の県連」が、建立したものです。
芭蕉は、伊賀上野の生まれで、江戸に庵を設けたのだから、東海道を旅したと思われるのに、遠江では一句も詠んでいない。浜名湖も、天竜川も、遠州灘も、銀嶺の赤石の山並みも、気に召さなかったらしい。当時のこの地方の句風が、古い壇林派のままで、蕉風を慕う後援者が居なかったためと思われるが、残念なことではある。(山内)