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2012年10月31日08:30

宮口地区から赤佐地区へ歩を進めて、
一番先に目につく山が高根山です。
海抜135,4㍍で非常に形がよく、本当に器量よしで、昔から美しいと言われる奈良三山も高根山には遠く及びません
。
その昔、都より東国へ向かう街道が、都田から宮口を経て、高根山の山麓を通り、於呂神社辺りで天竜川を渡ったのではないかとも言われています。今の山辺の道もおおよそ これをたどっています。
山頂には、六世紀頃の古墳が数多く点在しています。此の為 地元の人達は先祖の眠る、お山として敬い、大切に守ってきました。
昭和の大戦末期にこの山頂に機銃が据えられ、敵機が来襲のたびに応戦しましたが、B29には、とてもとても弾丸が届きませんでした。
今でも山頂へ連なる塹壕や、山頂には敵の上陸に備えての陣地構築の跡もあり、山頂では新旧の遺跡が同時に見られます。
中腹には一千年以上も昔から高根神社が祀られていますが、高根神社については、また改めて紹介したいと思います。
高根山も以前は松山で、地元の人達にとっては、柴を刈っては飯を炊き、山草を刈って田を肥し、秋には松茸で喜びをあたえてくれました。今では松は年々枯れて、代わりに照葉樹が多くなってきております。時代の移り変わりは人の世だけではなく、高根山にも大きく影響しているようです。

高根山≫
カテゴリー │遠州山辺の道の歴史

宮口地区から赤佐地区へ歩を進めて、
一番先に目につく山が高根山です。
海抜135,4㍍で非常に形がよく、本当に器量よしで、昔から美しいと言われる奈良三山も高根山には遠く及びません

その昔、都より東国へ向かう街道が、都田から宮口を経て、高根山の山麓を通り、於呂神社辺りで天竜川を渡ったのではないかとも言われています。今の山辺の道もおおよそ これをたどっています。
山頂には、六世紀頃の古墳が数多く点在しています。此の為 地元の人達は先祖の眠る、お山として敬い、大切に守ってきました。
昭和の大戦末期にこの山頂に機銃が据えられ、敵機が来襲のたびに応戦しましたが、B29には、とてもとても弾丸が届きませんでした。
今でも山頂へ連なる塹壕や、山頂には敵の上陸に備えての陣地構築の跡もあり、山頂では新旧の遺跡が同時に見られます。
中腹には一千年以上も昔から高根神社が祀られていますが、高根神社については、また改めて紹介したいと思います。
高根山も以前は松山で、地元の人達にとっては、柴を刈っては飯を炊き、山草を刈って田を肥し、秋には松茸で喜びをあたえてくれました。今では松は年々枯れて、代わりに照葉樹が多くなってきております。時代の移り変わりは人の世だけではなく、高根山にも大きく影響しているようです。

