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【宮口の歴史】平城京の木簡

カテゴリー │遠州山辺の道の歴史

宮口の歴史について調べてみると、いつ頃「宮口」という地名が成立したのかははっきりしなくても、この地域は相当古い歴史を有しているように考えられます。
それを裏付けるものとして、奈良県奈良市で1950年から続いている平城宮跡の発掘調査で次のように記された木簡が発見されました。

外従初上物部浄人 遠江国荒玉郡人☐☐☐☐遣高麗使叙位

これは、『続日本紀』の天平宝字二年(758年)十月二十八日、遣渤海使への叙位記事に対応するものと考えられ、遣渤海使に荒玉郡出身の「物部浄人」が随行しており、その功に対して位階を授けられたことが分かります。
「荒玉郡」は「麁玉郡」の古い表記で、現在の宮口地域はこの麁玉郡の中に含まれていると考えられています。

それにしても、当時の首都である平城京から見れば、宮口近辺は片田舎だったのですが、そのような土地から外交使節の一員となった「物部浄人」は、当時の宮口地域の有名人だったのかも知れませんね。



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