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内野・平口の歴史考察(17)

カテゴリー │遠州山辺の道の歴史

近藤五家

徳川家康の遠州入国に力を貸した井伊の谷三人衆の一人、近藤岩見守康用は、徳川に臣従した後、頭角を現し、井伊の谷城を本拠に、旧引佐郡から浜北市に掛けて、1万5千石を領有する大名となった。その子秀用は、寛永年間に、子供五人に、領地を分割相続させた。是が、近藤五家である。

それぞれの氏名・本拠地・石高・浜北区内の領地を記すと、次のようになる。
長子;近藤登之助(金指)4400石・安泰寺・平口・岩水
次子;近藤彦九郎(井伊谷)4000石・宮口・尾野・御馬池
三子;近藤縫之助(気賀)3000石・新原・道本・小松
四子;近藤五左衛門(大谷)3000石・内野・小嶋
五子;近藤仲(花平)800石・雲岩寺

このように五家共に当地に深くかかわっているが、特に、金指近藤家は、不動寺に出世稲荷と金光明経塔を寄進し、気賀近藤家は、小松の庄屋袴田家に長屋門を建てさせた。大谷近藤家は、幕末になり三ケ日大谷から陣屋を内野に移したなど、関連が深い。(山内)

内野・平口の歴史考察(17)
不動寺 金光明経塔





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