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内野・平口の歴史考察(5)

カテゴリー │遠州山辺の道の歴史

積石塚古墳群

内野台と染地台の中間に位置する二本ヶ谷の、東谷に二十二基、西谷に六基の積石塚古墳が発見され、内、六基が復元され展示されている。

内野・平口の歴史考察(5)

従来の古墳が、高地を選び、土を盛り上げることで墳丘を形作ったのに反し、積石塚古墳は、①場所は谷あいに、②材料は丸石を積み上げて、墳丘を作っているのが、大きな特徴となる。
九州や、四国には割と多いが、中部以東では、長野・甲府・高崎などのほか数は少なく、静岡県内では、此処にしか存在しない。

内野・平口の歴史考察(5)

朝鮮半島や中国の東北部に似た形式の古墳があることや、このあたりの古代の地名を覇多と言い、今も辺田・半田という地名もあることなどから、秦一族との関連が考えられ、朝鮮半島からの渡来人の墳墓と推測される。
欽明天皇元年八月に、秦人・漢人7053戸を地方に派遣したと記録があり、この地方にも、中央から渡来人の技術者集団が派遣されたと見てよい。これからも、この地方の中央との結びつきの強さを知ることが出来る。

梔池遺跡の縄文時代、山林遺跡・舟岡山遺跡の弥生時代の、居住跡と思われる遺跡が有るのに、浜北区から、古墳時代の居住跡は見つかっていない。何処かにある筈だと思う。(山内)




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