桜満開 さくらの里

カテゴリー │イベント情報

  


おはようございます。 今日は何処へお花見に出掛け様か?
と、パソコンを開いている皆様 「さくらの里」は桜満開です。

いよいよ来週に迫った「さくらの里まつり」例年よりも桜の
開花が早く、関係者わヤキモキさせています。

さくらの里の名前の通り、岩水寺桜の里は桜の名所に
なりつつあります。 駐車場は400台 飲酒運転はご遠慮
戴きたいですが、ご家族、グループで荷物を持って出掛ける
には最適です。



山辺の道の会では、さくらの里祭りにあわせ、ウォーキング
イベントを開催します。
2度の会合を開き準備を進めてきました。昨日3/30は、現地
の清掃作業を、会員の皆さんで実施しました。

  

今回は通行止めになっている特別ルートを使用します。
たて看板もあり、通行には充分な注意が必要です。

  

ルートにはちょっと素敵な場所があります。
「山辺の道の森」とでも命名しましょうか?

イベント参加申込は本日までですが、明日までOKです。
ボランティアガイドさんが解説して一緒に歩きます。

私達と一緒に「遠州山辺の道」を歩いてみませんか?

  

岩水寺大駐車場を目印にお出掛け下さい。


 

椎ヶ脇神社vol2

カテゴリー │遠州山辺の道の歴史

  

国道362号線 鹿島橋南側信号機の真横に
椎ヶ脇神社の急な参道の階段がある。
70段の急勾配な階段を登ると・・・

  

先程よりは若干緩やかな階段が再登場する。

 

北側から見ると、このような断崖絶壁なのだ

つまり、社裏からの景色は・・・と、云えば

  

この様な素晴らしい景色が見られるのです。

「竜宮へ行った神主様」(椎ヶ脇伝説)

ある日の事である 椎ヶ脇神社の神主様は 神社の裏へ大鉈
を持って草刈りに行きました。 笹や大きな木をバサン、バサン
と、切手いましたが、ふとした事で大鉈を大蛇の居ると云う椎ヶ
脇の深い深い淵の中に落としてしまいました。 淵を覗いて見
ると何十メートルとも知れない深い淵に落ちた大鉈が 直ぐ手
の届きそうな水の上に浮いて見えました。 神主様は崖から降
りて行って その鉈を拾わんとしますと鉈と、一緒に神主様の
体は深い深い淵の中に引き込まれてしまいました。
ふと、目が覚めて見ますと、そこは美しい美しい竜宮でした。
乙姫は「私は何よりも鉄が嫌いですから、鉈を落とさない様に
して下さい。そして早く鉈を持って帰って下さい。」「また、その
様な竜宮などがあるなどと誰にも云ってはなりません、この事を
守って下さればお前の欲しいと云うものは入用の時に何時でも
貸して上げますから、この淵際に来てお言いなさい。」
そこで神主様は喜んで帰りました。 2~3日過ぎると神主様の
家には、その国の殿様が40人も家来を連れて泊まりに御出に
なりました。珍客の事であるから神主様は沢山のご馳走をして
上げ様と思いましたので器具の必要を感じたがお膳やお椀が
無いので困りましたが、竜宮の乙姫様の事を思い出して淵に
行って頼みました。「竜宮の乙姫様、なるべく上等のお膳お椀
を40人分貸して下さい。」と、頼みました、暫くして行ってみます
と、目の覚める様な綺麗なお膳とお椀が並べてありました。
これでご馳走をして戴いたお殿様は非常に満足になって、お帰
りの時は、お褒めの言葉や沢山の褒美を下さいました。
その後も、絹の寝具や、或る時は臼や杵、またお重箱などを借
りた事がありました。  そうした喜ばしい事柄を人々に知らせ
たいが、残念な事には堅く口止めされてありました。色々と考え
た末に「云うなという事であるから文字で知らせるのは差し支え
無いから」と、遂に友達を呼んで、この事を知らせました。
友達はこの不思議な事を聞いて非常に喜びました。面して約束
を破った神主様は、その後何も借りる事が出来ず、その上筆を
使って人々に知らせた為に、その後は字を書く事が誰よりも下
手になりました。


 

椎ヶ脇神社vol1

カテゴリー │遠州山辺の道の歴史

  

"椎ヶ脇神社由来"

"椎ヶ脇神社は、桓武天皇の延暦二十年(八〇一
)征夷大将軍坂上田村麻呂(七五八~八一一)
が陸奥地方の蝦夷反賊の征伐のため下向の折、
天竜川が洪水氾濫し、磐田の海と重なって大海
となった。東岸(野部・広瀬)に渡ることも出来ず
困っていた。その時、土人(鹿島に住んでいた
昔の人)が筏を作り将軍を渡したところ、
大変喜ばれこの地に減水を祈り「闇淤加美神」
を祀り給わった。
これが現在の椎ヶ脇神社祭神である。

  

 尚、伝承によれば、椎ヶ脇神社の呼称は、
往古猪家神社とも呼んでいた。
この神社の北側には、天竜川の深淵があり、
その断崖絶壁の上に大木椎ノ木があり、
これから椎ヶ淵と称し淵に臨んだ神社から
椎ヶ脇神社と転称したとも言われる。


 
古来、椎ヶ脇神社は天竜川の水利を守り船の
安全を保ち、堤防の破損を免れ流域の大氏神と
して水害多き村々に御分霊を祀ってきた徳川
幕府から慶長七年(一六〇二)伊那備前守より、
神田朱印高二十石を寄進された。
又、天正十九年(一五九一)浜松城主
堀尾六左衛門光景が、宮奉行中村宗助と
代官池田忠左右衛門に命じて再建させた本殿は
総ケヤキ造り、桁行一・八米、長さ三・九六米、
梁間二・五米、棟高五・四米、軒高二・七九米である。
神社は、明治五年十二月十日郷社に列せられ、
明治四十年三月十五日神饌幣帛料を供進され
る神社として指定された。
 
祭神
闇淤加美神(くらおかみのかみ)
豊玉姫命(とよたまひめのみこと)
 
合祀祭神
神明神社 天照皇大神 豊受大神
白山神社 菊理姫神(きりひめのかみ)
水神神社 彌都波能賣神(みづはのめのかみ)
利人将軍権現




 

二本ケ谷積石塚群が県指定文化財に!

カテゴリー │ダイアリー

二本ケ谷積石塚群(にほんがやつみいしづかぐん)が県指定文化財(史跡)に指定されることになりました。

@S[アットエス]つなぐ!楽しむ!しずおかライフ | 静岡新聞SBS
二本ケ谷積石塚群、蟲魚帖稿(浜松) 県文化財に指定へ(2013/3/8 8:25)

遠州山辺の道の会ではこれを記念したイベントの開催を計画しています。
詳細は決まり次第このブログ他でご案内していきます。
ぜひご期待ください!






 

金原明善記念碑(旧浜名用水取水口)

カテゴリー │遠州山辺の道の歴史

  

国道362号線 鹿島橋手前を左折阿多古方面へ向かうと
直ぐ右手に「金原明善記念碑」が登場する。

元々浜名用水の取水口があった場所であるが、船明ダム
の建設により、ダムに取水口を設けられたものである。

1832年 安間村(現在資料館)に生まれ育った明善翁は
幼い頃から天竜川の水害による惨過を身を持って体験
してきた。天竜川の治山治水と開発こそが、遠州の人々
の幸せを高める唯一の道であると確信し、以来自分の
全ての資産を投じ、寝食を忘れ大事業を遂行した。

現在この浜名平野の農業基盤である水源の安定的確保が、
実現された事は、遠州の人々にとって掛替えの無い人物
であり、昭和59年 明善翁への謝恩事業として、この地に
胸像が建設されたものである。




 

鹿島八幡宮「鞍掛の松」

カテゴリー │遠州山辺の道の歴史

  

国道362号線 鹿島橋の南側辺りになる。
境内には、三方ケ原合戦で徳川家康が
浜松城に落ち延びる際に社の曲がった松に
鞍をかけて休んだという「鞍掛の松」がある。

  
現在の松の木は三代目。

また豊富な湧き水があり、家康がその水で
涼んだことから「涼の御所」と呼ばれた。

  

湧水は生活用水にも活用され
、静岡県の湧水100選に指定されている。"