遠州山の辺の道を車で走る

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朝方の眩しい太陽も次第に雲間に隠れ怪しいお天気の中「遠州山の辺の道を車で走る」を開催しました。

遠鉄西ヶ崎駅から奥山半僧坊道を西へ、内野真光寺から高札場を経て内野福王寺へ
内野神明宮~内野陣屋跡~梔池~野口~庚申寺~天浜線宮口駅~六所神社へ
一度も車を降りる事無く高根山裏口 天我々を気にしてか、雨粒を落すことなく
高根山防空壕を訪ねました。根っ子道を金刀比羅神社へ


向野古墳(涼みの御所古墳)

椎が脇神社も訪ねました。



 

3月度定例会

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遠州山辺の道の会3月度定例会が開催されました。これまで一緒に活動して来た岸擴さん(90歳)が本日をもって退会されました。樺太生まれ航空自衛隊で活躍され、退官後は奥様の出身地、この浜北でお暮しでしたが4月から娘さんの嫁ぎ先の鹿児島へ転居される事になりました。紙芝居で樺太の様子を紹介されるなど積極的に活動されて来ました。来週には北浜南部協働センターで北浜の昔話の紙芝居が発表されます。岸さんの御手配で自衛隊の「総合火力演習」にも参加させて戴きました。誠にありがとうございました。精力的なご活躍をお祈り致します。




 

お堂と石松首なし地蔵 

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このお堂は、秋葉路にそって常夜燈と共に1815年文化12年に大石善左衛門により建てられた。石松の首なし地蔵は、此処より3丁(300m)前方にあったものを、この地に移された。石松は三河の半原村の庄屋の家柄に生まれ、少年時代を森で過ごしたが、布嶋の兼吉と寺島に住む都鳥の源八の常により虐殺された。里人と4人組の手により地蔵堂が建てられた。この地蔵は家内安全・商売繁盛・目、耳の病に御利益があるとされ 地蔵が欠き取られて首なし地蔵になったものという。  道本伝統保存会



 

静岡新聞3月2日夕刊

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