宮口地区イベント告知

カテゴリー │イベント情報

来年の1月8日(日)に「遠州山辺の道・初庚申祭と宮口めぐりウォーク」が開催されます。

宮口各所の名所、史跡をまわり、最後は庚申寺で当日開催されている初庚申祭を見学します。

初庚申祭では甘酒のサービスや投げ餅、名物の庚申こんにゃくの販売等が行われます。ちなみに、私のオススメは庚申こんにゃくなのですが、一度食べてみる価値があるおいしさです。

山辺の道に興味のある人に限らず、初庚申祭を楽しみたいという人もぜひ参加してください。

なお、参加申込については下記のファイルを参照していただき、浜北区まちづくり推進課までお願いします。







 

内野・平口の歴史考察(9)

カテゴリー │遠州山辺の道の歴史

寺院(後編)

平成二二年に廃寺になった内野の竜福寺に有った海上安全の神・正覚坊大権現は、西が崎の蔵泉院に、移された。同じく、安産の守り仏として尊ばれた子安地蔵尊は、内野の龍泉院の新築のお堂に安置された。

この、龍泉院は、内野の豪族横田家の菩提寺で、境内に「拍薗翁之碣」が建てられているが、この題額の文字が、幕末の英雄・勝海舟の揮毫である。



不動寺に、乃木希介大将と、山県有朋大将の額があるが、小野口三筆としてもよいのではないか。境内にあるカヤの木は、市指定樹木に登録されている。

巨木と言えば、真光寺のイチョウの木は、樹齢450年の市指定樹木で、お葉付きイチョウと呼ばれる銀杏を実らせる。晩秋、黄葉するさまは見事である。




平口の徳生寺にある地蔵堂は、元、共同埋葬地に建てられていたものだが、火葬令により廃止され、徳生寺に移された。この地蔵尊には次のような逸話がある。
昔・昔、本村のある家に、一人の小坊主が、「和尚さんの言いつけで来ました。私の頭を剃ってください」と訪ねてきました。おばあさんは快く剃ってあげましたが、明くる朝、おじいさんが顔を剃ろうとして、かみそりの刃がぼろぼろなにに気が付きました。驚いたおばあさんがお寺に行くと「うちには小坊主は居ない」と言われました。あちこち探すと、お地蔵さんの頭が綺麗になっていました。いたずらじぞうというお話です。(山内)




 

内野・平口の歴史考察(8)

カテゴリー │遠州山辺の道の歴史

寺院(前編)

正寿院・内野・臨済宗方広寺派・永徳三年(1383年)開創・室町時代
竜泉院・内野・臨済宗方広寺派・天承六年(1578年)開創・安土桃山時代
福応寺・内野・臨済宗方広寺派・慶長六年(1601年)開創・江戸時代
真光寺・内野・臨済宗方広寺派・慶長十五年(1610年)開創・江戸時代
西福寺・平口・臨済宗方広寺派・至徳二年(1385年)開創・室町時代
徳生寺・平口・臨済宗方広寺派・天正一年(1573年)開創・安土桃山時代
妙蓮寺・平口・日蓮宗・元禄八年(1695年)以前開創・江戸時代
不動寺・平口・黄檗宗・延宝八年(1680年)開創・江戸時代

小松の、光正寺・紹隆寺の二寺と、平成22年に廃寺になった内野の竜福寺も、臨済宗方広寺派である。臨済宗それも方広寺派の寺院が多いのは、直ぐ近くの引佐町奥山の大本山方広寺の影響であろう。日蓮宗の妙蓮寺、黄檗宗の不動寺以外は、全て同じ宗派であり、寺院が生活に密接していた中世では、まとまりの良い部落で、村役は楽だったろうと想像できる。

平口の西福寺境内に、弘法大使が、相模の国江ノ島で、護摩一万座修行をされた時、その灰で創られた弁財天像三体の内の一体と言う伝説の残る弁財天像が祀られている。



日本三弁天とは、普通、江ノ島・竹生島・厳島の弁財天をさすが、このうちの何処が抜けて、西福寺が入るのかは分からない。又、何故此処にあるのかも不明である。毎年、四月の第一土曜日に例大祭が行われ、大勢の善男善女が、技芸上達・学業成就を願って、お参りに訪れる。

内野の正寿院には、一字一石塔がある。



大乗経の経文を一字ずつ一つの石に書き込んだものを納めた塔で、手を合わせ念ずることで、大乗経を読んだと同じ功徳が得られるという有り難いものである。この塔の側面に、薩訶世界大日本国東海道遠江州長上郡内野郷長寿院と記されている。薩訶は、薩摩の薩と摩の勘違いで、摩訶であろうが、大日本国の大の字は、建立が鎖国時代の安永八年(1780)のこと、何に向かって大とつける必要があったのか、いぶかしいことだ。(山内)




 

内野・平口の歴史考察(7)

カテゴリー │遠州山辺の道の歴史

不動寺開創の伝説



奈良時代、遠州地方に疫病が流行し、亡くなる人も多く、庶民は悩み苦しんでいた。之を伝え聞いた奈良東大寺の建立に携わった行基菩薩が、不動明王像を刻み、病魔退散の祈願をされ、疫病の流行を治められた。行基菩薩は、霊山を選び、一堂を建て、不動明王を祀られた、之が、不動寺創建の物語である。

遠州地方に、行基が来られたかどうかは分からないが、本尊の不動明王像は、中世以前の作と思われ、不動寺開創の古さと、不動信仰の深遠さが想起される。
現在の不動寺は、延宝八年(1680年)黄檗宗の寺院として開基された。明治九年(1886年)火災に遭い古文書・宝物など全て消失し、残されていない。
身代わり不動としての信者は多く、往時には、門前周辺に、三軒の料亭が有ったとも言われるほど参詣人が多かった。



表参道の石段は一二三段あるが半端な数で納めたのは、人生は割り切れるものではないよと言う、御仏のお諭しである。



奥の院の松本坊は、空中を自在に飛び回る神様で、海外旅行に発つ人が安全祈願におまいりする。



石段途中からの道の奥に鎮座するお稲荷さんは、金指近藤家が、家内安泰と自身の出世祈願のため建立したもので、出世稲荷と呼ばれる。(山内)








 

古墳めぐりウォーク レポート

カテゴリー │ダイアリー

10/29に遠州山辺の道の会による「遠州山辺の道 古墳めぐりウォーク」が開催されました。



コースは浜北区平口の万葉の森公園を出発し、内野古墳群の二本ヶ谷積石塚古墳、稲荷山古墳、山の神古墳、赤門上古墳をめぐり、遠州山辺の道を万葉の森公園にもどる約4Kmのルートで、会のメンバーがご案内させて頂きました。
また希望者には昼食に「貴族の万葉食」も体験して頂きました。

今回は、普段ガラス越しにしか見られない赤門上古墳で発掘された三角縁神獣鏡(レプリカ)や二本ヶ谷積石塚古墳で発掘された土器を間近でご覧頂き好評でした。



心地よい秋晴れという絶好のコンディションもあって、参加された31名の方にはウォーキングを楽しんで頂けたようで、終了後のアンケートにも
「身近にこんな歴史があるなんて今まで知らなかった」
「遠州山辺の道をもっと歩きたい」
という感想が多く寄せられ、今後のイベントの開催に向けて自信がつきました。

来年の1月8日、宮口の庚申寺初庚申に合わせてイベントを予定しています。
またこのブログでもご案内します。