内野・平口の歴史考察(10)
内野神明宮
延喜五年(905年)から22年かけて編纂された、延喜式神名帳・式内社として、長上郡五社の中に、朝日波多加神社が記載されている。
半田村とか、飯田村とか色々な説があるが、内野が覇多郡の中心であったこと、宇治乃御厨の存在などから、式内社朝日波多加神社は、今の、内野神明宮と見て間違いないと思われる。神明宮となったのは、伊勢神宮の御厨とのかかわりで、平安末期のことで有ろう。現在、内野神明宮のお祭の際掲げられる幟には、「朝日波多加神社」と書かれている。
西側の岡には、古墳群が残されていたが、今は内野台の住宅地となっている。境内敷地の広い部分が、長い間内野幼稚園として使われていたが、幼稚園が、内野北幼稚園と合併し新築移転した後、私立の保育園になった。(山内)
関連記事