内野・平口の歴史考察(23)

カテゴリー │遠州山辺の道の歴史

小野口村

明治22年(1889)、市町村条例が施行され、小松村・内野村・半田村が一つになって、小野田村が出来ました。村役場は、始め,龍福寺でしたが、その後、龍泉院に移り、後、真光寺に変わり、又、龍福寺にと、内野の寺院を転々としました。理由はわかりませんが、そのようなことも原因の一つでしょうか、明治41年(1908)に、半田が抜け、代わりに平口が入って、小野口村になりました。村役場は、寺院に間借りではなく、今の、浜名小学校の隣に新築されました。村長には、竹内市太郎氏が就任しましたが、この方は、昭和19年まで、36年間、勤められました。現在、浜名小学校に称徳碑が建って居ります。

内野・平口の歴史考察(23)

昭和二十六年に町制施行で村から町に昇格するとき、浜名郡の中心になるとの意気込みで、浜名町と名前を改めました。

内野・平口の歴史考察(23)
浜名町役場跡

昭和三十一年(1956)北浜村・中瀬村・赤佐村・麁玉村と一緒に浜北町となり、38年に浜北市となりましたが、平成の大合併で、浜松市浜北区と変わり、浜名地区と呼ばれるようになりました。(山内)






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